2019年04月02日

年無し黒鯛

 これは、あまりに記念すべきできごとなので、この『道長だより』に記しておかないといけない。…というわけでここに記す。

 さる2019年3月9日、わたくし石川豊久、満67歳にして、黒鯛師の目標である、50cmオーバー、年無し黒鯛(ちぬ)を釣ってしまいました。悲願達成、大願、宿願、心願成就といったところ。

 その日、午前は自転車を漕いで額田町くらがり方面で、ちょっと一息と思っていたら、釣友M氏から釣りのお誘い。せっかく呼んでいただけたこともあり、ここはお断りするすべもなく、お供させていただくことに。

 春遠からじの3月初旬、浜名湖。風もそよ風程度であったかい。まずはコマセを打っておいて、おもむろに仕掛けをつくり、投入。ハリスは1.2、針はチヌ針4号。まだ日没前。そして、第二投…。なにやらウキがゴソゴソの後、沈んで浮いてこない。「?」と思い、念のためアワセを入れると…、なにやらかなりの手ごたえ。まさか、どうせボラだろう…。だがしかし、慎重なやりとりの後、M氏のアシストタモ網入れでなんと、銀鱗の黒鯛を確認。瞬時に「年無し!?」を確信。ちょうど釣り場で合流のW氏のメジャーを当ててみると50cmをわずかに超えている。

 思い起こせば、黒鯛釣りの経歴は35年ほどとけっこう永い。当時、ともだちに、しつこく釣りに誘われ、しぶしぶ愛知県蒲郡市西浦の堤防へ連れて行かれたのが最初(真冬の徹夜釣りだった)。もともと虫も殺せず、魚は飼うのは好きだが釣って殺生はできないというのがぼくの性格。確かその夜に釣れたのは、5センチにも満たないイサキかなにかの稚魚だった(放流)。

 にもかかわらず、黒鯛一筋の釣りにはまってしまったのは? やはり、釣って取り込んだときの、あの姿がカッコいいからかもしれない。または掛けたときの感触? 自分とは異質の、他の知性?との対峙。あるいは、現代社会で、狩猟本能を満たしてくれる唯一の手軽な行為とも言える。黒鯛はその好敵手なのかも。

 で、3月9日に話をもどす。記念すべきそのときには必ず『魚拓』をとる、と決めていたので早速。帰宅後、墨も墨汁もないことに気づき、M氏宅へ借りに行き、夜な夜な魚拓。半紙がないので敷布を切って用意。魚体のぬめりを束子で擦り落とし、水気をふき取り、墨を塗り、ためし刷りし、やっとのことで魚拓を取り、さらに今度は出刃包丁で下ろしと、すでに時刻は夜半を過ぎてしまったのだった。

 この黒鯛(雌だった)を釣ってから帰宅してもろもろの作業を終えるまで、その間のぼくの感情・心境はどうだったかというと…。不思議にも「うれしい」という気持ちにはならなかったのだった。むしろ「出遭い」「因縁」「宿命」めいた感じ。さらには「畏敬」の念。

 最近は自転車に意向してしまっていることもあり、一生無理かと思っていた50センチの年無し黒鯛との遭遇は、以外にも厳粛で近寄りがたい一時なのだった。

 今後、もし再び『年無し』との出遭いがあったとしたら、今度は敬意をもって海に返そうと思う。所詮、黒鯛も人間も、大して違いがあるわけでもなく、好奇心や喜怒哀楽、愚鈍な心を持ち合わせた、おなじ生き物同士なのだから。combine.jpg
   『年無し』とは、年齢がわからないの意味
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posted by michinagasama at 13:29| Comment(0) | 釣り

2019年03月28日

ゲノム編集食品

 ここ最近、めまぐるしくも、ゲノム編集というバイオテクノロジーが遺伝子組換えにとって代わろうとしています。医療方面では日進月歩ですが、食品でも利用されようとしています。詳しいところはぼくには無理なので、ぼくのわかる範囲で…。

 遺伝子組換え操作では、いろいろな方法で細胞の中の遺伝子に目的の遺伝子を入れ込む。方法としては、打ち込む、ウィルスなどの核酸分子に運ばせる、電気ショックなど。いずれも遺伝子の配列の目的の部分に組み込みたい遺伝子が入ってくれるとは限りません。当然ながら、精度が低いため、たとえば、愛知県で約20年前農業総合試験場で行なわれていたGMイネの場合、パーティクルガンという機械を使い(打ち込む方法)目的の遺伝子を入れ込んだと思しき2万のカルスと呼ばれるイネの植物細胞の塊を培養し、イネに成長させる。このとき、除草剤耐性のイネなので、その除草剤を使い、枯れずに生き残ったものだけを培養します。

 当然、まともにイネにならない(奇形など)ものが大多数のため、イネの苗の形に育つものだけを選抜し育成します。愛知県の試験場の場合、2万カルスに遺伝子組換えを施し、さらに選抜を重ね、640固体→190固体(系統)→6系統へと絞込み、そのうちから3系統で最終的な隔離ほ場(野外のほ場)での試験栽培を行い、最終1系統を残すというのがプロセスでした。愛知県のGMイネの場合、研究開発に目途を立てるのに約6年を要しました(このGMイネは反対運動の結果、商品化を待たず中止されました)。

 これに対してゲノム編集の場合では、遺伝子配列の標的の部分をある種の酵素(CRISPR-Cas9)を利用して直接狙い、失効させ、目的の遺伝子をそこに導入することが可能なので、2万ものカルスを必要としません。

 近畿大学では、短期間で、しかもたくさんの肉をつけるゲノム編集「マッスルマダイ」を開発。これは、マダイの成長抑制ホルモンをつかさどる遺伝子の配列を失効させ、一方的に成長を促すというもの(マッスルマダイの場合、外部からの遺伝子は挿入されない)。

 ただし、このマダイの場合、数千個の卵に CRISPR-Cas9 による操作が行なわれたとのこと。初めての実験ということで、念のためそれだけ多くの卵が使われたのかもしれないけれども、それにしても、そんなに多くの操作が必要だというのには疑問を感じてしまいます。

 最近の報道では、ゲノム編集はいかにも百発百中かのような報告がなされ、消費者はすばらしく安全性の高い方法のように受け止めてしまいます。さらに、マッスルマダイの場合、外部から遺伝子を導入していないから遺伝子組換えの考え方にあてはまらないという解釈になるというのが国の見解なのだそう。さらに、交配などの品種改良や突然変異と変わらないとの表現も付け加えられている。

 また、遺伝子を操作しようとすると、オフターゲットという現象がつきまとう。オフターゲットとは的が外れること。マッスルマダイで数千の卵が必要なのはなぜかといえば、それだけオフターゲットが起こる可能性があるからです。

 仮にオンターゲット(命中)だったとしても、他の遺伝子の配列もまちがって失効破壊されてしまう場合もある。それによる、本来あってはならない影響が起こる可能性もあります。またさらに、オンターゲットの場合でも、それに連鎖してほかの配列もおかしくなってしまう予測不能な現象が起こってしまう場合も否定できない。などなど。

 こう考えてくると、ゲノム編集食品が安全などと評価するのは間違っている。そもそも、遺伝子組換えとは日本語的解釈。もとの語の『Genetically Modified Organism』とは『遺伝子を改変した生物』という意味で「組換え」も「編集」も遺伝子を改変していることに違いはありません。

 ゲノム編集は安全だから、すぐにでも販売できるようにするなどという解釈は、とてもとても危険であるし、時期尚早といわざるを得ません。

 なにか原発は安全、という繰り返された念仏に酷似していて、はなはだ危険を感じてしまうのはぼくだけでしょうか。
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※左がゲノム編集マッスルマダイ
posted by michinagasama at 11:39| Comment(0) | 発酵 食

2019年01月05日

初夢

『初 夢』
 初夢をみた。そんなの、近年みたことがなかった。けっこうリアルな夢だった。

 夢の中で、ぼくの自宅はなぜか今住んでいる場所ではなく、たぶん豊川(川の名前)の堤防沿いのどこか。つい今しがた、ぼくは自宅から出て、ちょっと歩いて離れただけのはずだった。さて家にもどろうと思うのだけれど、なんとなく変な感じ。たしかこの辺に家があるはずなのに…。今来た道を引き返すも、ぼくの家がない。また引き返す。そしてまた。ますます家が見つからない。こんなおかしなことがあるんだろうか。

 そのうち、ちょっと風景がちがうのに気がついた。ここは家の近所とちょっとちがう。たしかに、ここも川の堤防沿いのようではある。堤防のうえまで上ってみる。いつも見慣れているより川幅がせまいし、これはたぶん違うどこかよその川?

 家からいくらも離れていないはずなのに、一体全体、ぼくは今どこにいるのだろう?不安がつのる。通りすがりの、たぶんこの近所のひとに「ここはどこ」と聞いてみようかしら。…と思うのだけれど、よく考えてみれば、仮にそれがわかったとしても、ぼくは一体どこへ帰ればいいのかもわからない。もう、自分の家が二階家だったかどうだったか、どんな造作の家なのかも忘れてしまっている。

 困った。どうすればいいのかしら。ここは行き交う人に助けを請うべきか。なぜか言葉が出てこない。ぽつんと困り果てる自分が、ただ、道に立ちすくんでいるのだった。さらには、現在ここにいる自分は認識できるものの、ぼくは誰なのか。それさえも定かではなくなっているのだった。

 というところで、目覚まし代わりにしている寝床のテレビのスイッチが入ったとみえ、それに連れてぼくは目覚めたのだった。刹那、今のは夢だったのだと得心するも、なんとも複雑な気持ち。

 これが、2019年正月二日に見たぼくの初夢。

 夢の中のぼくは、アルツハイマー症か痴呆症にでもなってしまったのだろうか。医療にくわしい、かかりつけの治療院氏に尋ねてみたら、そういう場合は『どこ』とか『だれ』とかも意識から薄れてしまうことが多いとのこと。または、軽度の脳梗塞などに見舞われたりしても、そんな状況に陥ることがあるそう。
 愛犬きくといっしょに、家の外に出てみた。朝日に輝く、見慣れた風景がぼくの目に鮮明に映る。やっぱり、ここはぼくの家だし、いつもの輝かしい朝なのだった。ぼくはいつになく、あたりまえの一日の、一年のはじまりを迎えることができるよろこびでいっぱいになった。

 過去いろいろあったように、これからも、いろいろあるのだろう。父や母の死、坐骨神経痛、転落で骨折などなど、近年にもいろいろあった。悲喜こもごも、喜怒哀楽のもろもろの出来事だったけれど、後にしてみれば過ぎ去りし思い出の数々。

 一年の節目に、ここは希望の夢を見よう。健康で多幸な愛する家族。すべての人が自由に平和に暮らせる世界。緑の地球。おいしい食事。地域のひとびと。音楽や自転車、釣行。仕事。
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 この一年が幸せな一年であることを願います。

posted by michinagasama at 17:29| Comment(0) | 日記