2019年01月05日

初夢

『初 夢』
 初夢をみた。そんなの、近年みたことがなかった。けっこうリアルな夢だった。

 夢の中で、ぼくの自宅はなぜか今住んでいる場所ではなく、たぶん豊川(川の名前)の堤防沿いのどこか。つい今しがた、ぼくは自宅から出て、ちょっと歩いて離れただけのはずだった。さて家にもどろうと思うのだけれど、なんとなく変な感じ。たしかこの辺に家があるはずなのに…。今来た道を引き返すも、ぼくの家がない。また引き返す。そしてまた。ますます家が見つからない。こんなおかしなことがあるんだろうか。

 そのうち、ちょっと風景がちがうのに気がついた。ここは家の近所とちょっとちがう。たしかに、ここも川の堤防沿いのようではある。堤防のうえまで上ってみる。いつも見慣れているより川幅がせまいし、これはたぶん違うどこかよその川?

 家からいくらも離れていないはずなのに、一体全体、ぼくは今どこにいるのだろう?不安がつのる。通りすがりの、たぶんこの近所のひとに「ここはどこ」と聞いてみようかしら。…と思うのだけれど、よく考えてみれば、仮にそれがわかったとしても、ぼくは一体どこへ帰ればいいのかもわからない。もう、自分の家が二階家だったかどうだったか、どんな造作の家なのかも忘れてしまっている。

 困った。どうすればいいのかしら。ここは行き交う人に助けを請うべきか。なぜか言葉が出てこない。ぽつんと困り果てる自分が、ただ、道に立ちすくんでいるのだった。さらには、現在ここにいる自分は認識できるものの、ぼくは誰なのか。それさえも定かではなくなっているのだった。

 というところで、目覚まし代わりにしている寝床のテレビのスイッチが入ったとみえ、それに連れてぼくは目覚めたのだった。刹那、今のは夢だったのだと得心するも、なんとも複雑な気持ち。

 これが、2019年正月二日に見たぼくの初夢。

 夢の中のぼくは、アルツハイマー症か痴呆症にでもなってしまったのだろうか。医療にくわしい、かかりつけの治療院氏に尋ねてみたら、そういう場合は『どこ』とか『だれ』とかも意識から薄れてしまうことが多いとのこと。または、軽度の脳梗塞などに見舞われたりしても、そんな状況に陥ることがあるそう。
 愛犬きくといっしょに、家の外に出てみた。朝日に輝く、見慣れた風景がぼくの目に鮮明に映る。やっぱり、ここはぼくの家だし、いつもの輝かしい朝なのだった。ぼくはいつになく、あたりまえの一日の、一年のはじまりを迎えることができるよろこびでいっぱいになった。

 過去いろいろあったように、これからも、いろいろあるのだろう。父や母の死、坐骨神経痛、転落で骨折などなど、近年にもいろいろあった。悲喜こもごも、喜怒哀楽のもろもろの出来事だったけれど、後にしてみれば過ぎ去りし思い出の数々。

 一年の節目に、ここは希望の夢を見よう。健康で多幸な愛する家族。すべての人が自由に平和に暮らせる世界。緑の地球。おいしい食事。地域のひとびと。音楽や自転車、釣行。仕事。
KIMG1098b.jpg
 この一年が幸せな一年であることを願います。

posted by michinagasama at 17:29| Comment(0) | 日記

2018年11月01日

種子法の廃止

みなさまご周知かも知れませんが、今年4月『種子法』が廃止されました。今、この措置に対して多くの地方自治体から意見書、要望書が国に対して提出されています(愛知県では県議会、名古屋市議会からも)。
この法律は戦後まもなく、日本にとって大切な主食である「米・麦・大豆」の種子について、国として管理し、守ることを定めたもの。
かんたんなように思いますが、わたしたちが食べている、米ならコシヒカリやあきたこまちなどの種子がきちんと管理されていないと、それがいい加減な品種になってしまったり、勝手に企業などに利用されてしまったり、外国に持ち出されてしまったりしてしまいます。
その管理を国が放棄したため、現在、その役割は各道府県の行政に委ねられてしまったという状況です。稲や麦の生産が盛んな北海道や新潟などの自治体では、条例などで種子の管理ができるのかもしれませんが、そうではない県などでは難しかったりします。
現在、多くの道府県では『要綱』というかたちで引き続き管理を行なっていますが、あくまでも実務の取り扱いについて定めただけで『条例』のような法的な拘束力がありません。また、肝心な管理のための費用についても、捻出が難しくなる状況も今後生まれてこないとも限りません。
すでに条例化した自治体もあり、その方向に進んでいるところもあります。ですが、国が定めた憲法のような威力には及びません。
『種子法』が廃止された背景には、米国からの圧力もあるといわれています。自動車をはじめとする工業製品の輸出も大切ですが、それと引き換えに食と農の基本である米・麦・大豆の管理を放棄するというのはどうなのでしょうか。
国会では承認された種子法廃止が地方からは総スカンという状況。これは一体、どうなっているんでしょうか?ハニ、ホシ・jpg.jpg
それにしても、こんなに重要な問題がニュースにのぼってこないなんて、大丈夫なんでしょうか。この国は…。

なんとかしろー、日本!!
posted by michinagasama at 12:07| Comment(0) | 麹づくり & 発酵

2018年08月20日

鈴木慶市さん

去る8月4日、鈴木慶市さんが亡くなりました。91歳。慶市さんとは、道長が音羽に作業所を移転した1995年からの付き合いで、昨年まで、道長で使う大根、白菜、かぶ、なす、きゅうりなどを作っていただきました。その間、ざっと24年の歳月。

当初、慶市さんのほかに2人ほど、地元で野菜を作ってもらえそうな方を農業改良普及センターに紹介いただいたものの、いずれも道長の勝手を聞いてもらえず、あちらから愛想を尽かされた感で、最初の数ヶ月で関係は途絶えてしまったと記憶します。

以後20余年、いろいろなことがありました。その中で、いちばん印象深いことといえば、なんといっても、鈴木さんとぼくとで『生ゴミでたい肥作り』をしたことでした。当時、家畜の糞、食品の残渣、生ゴミなどのバイオマスの再利用がブームだったこともあり、どうせ無農薬無化学肥料栽培をめざすならと、たい肥作りの実験を始めたものです。

自作のステンレス製生ゴミ発酵機を道長の作業所に設置し、近隣住民に生ゴミ投入をお願いするというもの。この試み、意外に好評で、新聞にも取り上げられたり、小中学校に二人で指導にいったこともありました。

乳牛の畜産農家へ行って、家畜のふんに米ぬか、もみ殻、おからなどを混ぜて完熟牛糞たい肥の製造実験なども敢行。ホイールローダーという土木機械を使っての実験は、その運転こそは楽しかったものの、ローダーが牛糞の海の中で立ち往生、脱出方法を知らなかったため孤立するという笑い話も。

こんなこともありました。牛糞たい肥を発酵熟成するための雨よけとしてビニールハウスを設営したのだけれど、翌日様子を見にいったところ、なんと夜中に突風で骨組みがグニャり。慶市さんとぼく、夢か現(うつつ)か、あっけにとられ茫然自失。ということもありました。今となっては楽しい思い出です。

彼、鈴木慶市さんは、昭和元年、寅年生まれ。ぼくの母と同い年。母は5年前、86歳で逝ってしまいましたが、なんとなく身近に感じてしまう慶市さんでした。

慶市さんといっしょに作業をする時、毎回実感したこと。ぼくと25年の年齢差があるにもかかわらず、小柄な体格にもかかわらず、とにかく積極的で力持ち。そしてエネルギッシュでした。ぼくが彼の年齢になったとき、果たしてあんなに元気でいられるのだろうかと、いつも考えさせられたものです。

戦後生まれのぼくとはちがい、戦中戦後を必死で駆け抜け、切り抜けた、彼、鈴木慶市さんは筋金入りの努力家でした。戦後、開通したばかりの、舗装もできていない国道1号線をトラックにかりんとうを積み、配達と営業のため、東京を往復したそうです(全国シェアトップのかりんとう会社の専務さんでした)。その勇姿ぶりを想像します。
dayo-610d.jpg
慶市さんが道長に野菜を配達に来るとき、外で軽トラのエンジンの爆音が景気よく鳴り響いたもの。もうあの音は聞けなくなりました。本当に寂しくも悲しくも、残念でなりません。

慶市さん、本当に永い間ありがとうございました。あなたにいただいたご恩は一生忘れません。さようなら。
posted by michinagasama at 14:09| Comment(0) | 道長だより